招きの 言葉
今、私たちは、数年前には思いもしないような現実の中を歩んでいます。新型コロナウィルスの問題が、私たちに重くのしかかっています。いつ「日常」が戻ってくるのか、先が見えないような思いを抱えています。その中で、私たちは改めて「生きるとは」、「命とは」そういう問いに向き合っているように思います。
聖書は、そういう私たちに、大切なメッセージを伝えています。それは「あなたは誰とも比べることが出来ないかけがえのない命を生きている」ということです。教会でご一緒に聖書が示している命のメッセージを聞き、新しい希望を与えられて、人生を歩み出してみませんか。高知教会は、皆さんお一人お一人を心から歓迎いたします。
高知教会の歴史
明治維新後、高知県では自由民権運動が盛んになっていました。その中心となった板垣退助、片岡健吉の斡旋によって、アメリカの長老派宣教師たちの高知伝道が活発に始められました。
高知教会は1885年5月15日、その時受洗した13名を加え21名の信者によって創設されました。
私たちの教会は創立時より各地への伝道に力を入れ、また北海道への殖民事業も行っています。その結果北海道の地では北見教会、聖園教会が設立されました。(自由民権運動の指導者は信仰としてのキリスト教を受け入れ導入したのではなく、当時の中央専制的な薩長藩閥政治に対抗するため、キリスト教のもっている民主主義的思想を取り入れようとしました。しかしながら宣教師たちはそのことを承知したうえでキリスト教を伝えようとしました。ここに神様の導きがあったと思われます。)
1941年合同教会として生まれた日本基督教団に加わり現在に至っています。
高知教会では、礼拝、祈祷会を守ることを大切にしています。
1945年7月4日高知大空襲によって教会は外郭のみ残し内部は全焼しましたが、その焼け跡において7月8日には礼拝がささげられました。このように創立から一度も途切れることなく日曜日には礼拝がささげられています。毎週日曜日の礼拝はどなたでも自由に出席できます。皆様のお越しをお待ちしています。

明治期の礼拝風景

1925年献堂の第2会堂

戦災直後の高知教会
日本基督教団信仰告白
我らは信じかつ告白す
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音(ふくいん)の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一(ゆゐいつ)の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。御子(みこ)は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにへ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。
神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ。この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就(じょうじゅ)したまふ。
教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集(つど)ひなり。教会は公(おほやけ)の礼拝(れいはい)を守り、福音を正しく宣(の)べ伝へ、バプテスマと主の晩餐(ばんさん)との聖礼典を執(と)り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。
我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。
我は天地の造り主(ぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独(ひと)り子(ご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(をとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇(のぼ)り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン。
※日本基督教団信仰告白は教団の信仰内容を言い表すものとして1954年に制定されました。